<ピックアップ版> |
"T.U" wrote: はじめまして。
大阪に行くとき、必ず楽しみにして行くのが、大江橋&淀屋橋そして中之島、そして御堂筋。
なぜ好きかというと、例えば、例えば大江橋&淀屋橋のたもとで川を見ているとヨーロッパ的な雰囲気を感じるからです。
例えば、現在大丸百貨店のある御堂筋側の通りは歩道も広く、イチョウ並木と大丸のクラシックな建物がいい感じだと思います。 私が大阪を訪れたのが3−4年前なので現在の御堂筋もかなり変わってきていると思います。
海外の有名ブランドの経営者がなぜ御堂筋を選んだかというと、
やはり御堂筋の雰囲気がいいです。
このあいだ"BENETTON"の社長が御堂筋に店を出した理由は
現在の御堂筋は問題も多く、例えば自転車の放置、駐車違反などが御堂筋の美観を損ねています。特に自転車。 梅田の街づくりでの失敗は地下街が多すぎて、地上のまちがもう一つなことです。
最後に、これだけ御堂筋に世界の有名ブランドの店があるのであれば
例えば・・・中之島の三角州を背景に遊覧船に男女のファッションモデルが、イブニングドレス&男性は正装して船のデッキでシャンペンを飲んでいる風景・・・、そして御堂筋のブテイック街をウインドーショッピングしている・・・ようなCMを全国に流せば、かなり反響があると思います。
私は現在海外に住んでいますが海外でのいろんな情報を流せればと思っています。
T.U さま 意義深いメールありがとうございます。 非常に嬉しく読ませていただきました。 昨年末、毎日新聞さんにこのページのことで取材され(12月23日掲載・大阪版)、その際「ここの魅力」として、「広い歩道」とか「歴史あるイチョウ並木」とか「風格ある街並み」とか答えていたのですが、頂いたメールの「ヨーロッパの雰囲気」!伝わりやすい言葉ですね!
また、CMのアイデアもいいですね!
またどうぞ、よろしくお願い申し上げます。 平成15年2月24日
大阪まちプロデュース 山根 秀宣 山根秀宣様 さっそくのメールありがとうございました。
ところで,CMの件で外輪船”ひまわり”がいいですね。船の先端にデッキがありそこで男女のモデルにシャンペングラスを持ってもらって楽しくデッキで語り合っているところを、中之島の市庁舎とかレンガ造リの中央公会堂を背景にまた、天神橋を背景にしたロマンチックな光景。・・・それから御堂筋のブッテイク街のお店の前。 ブランド嗜好の強い方は男女問わずロマンチックな方が多いと思われます。
それと女性のファッション雑誌にに載せるのもいいと思います。 御堂筋の将来ですが、例えば淀屋橋のあたりからオープンカフェ、ケーキ屋、パン屋さん、海外の有名ブランド店などが御堂筋の両側にぎっしりと心斎橋まであればウインドーショッ
ヨーロッパによくあるオープンカフェが増えれば、コーヒーを飲みながら道を歩く人を見れる
|
三菱商会(三ツ川商会)の「三」は大阪の3本の川(淀川・安治川・木津川)を象徴!か?
「なにわと土佐と三菱と」に関するメッセージ
omp様
初めまして、藤本と申します。
記事の中に、
ご参考までに。(2002年5月31日 14:03)
藤本様 お返事大変遅くなり失礼しました。
当時、藩の財産は新政府に没収されたので、「土佐」の名をはずす必要があり、
江戸末期から明治初年ごろにおける江戸・東京は、
ここは、三階菱(岩崎家)や三ツ柏(山内家)など元々「3」に縁の有る会社が
平成14年6月6日
大阪まちプロデュース 山根 秀宣 |
大阪まちプロデュース 山根秀宣様 初めまして
H(2006年11月18日 14:31)
|
Hさま
メールありがとうございます。ご紹介のHPについても見させていただきました。 山内家の家紋「丸に土佐柏」については当HPの「三川」の絵の中にも略図を書いておりますように
しかし、では「九十九商会」や「三川商会」という名はどこから来たのでしょう? 当時、衰退していた江戸・東京(トウケイ)と比べれば
大阪は慶応4年東京(明治2年)に先駆けて外国人に開放(「開市」)されるが
山内家の家紋由来を否定するわけでは毛頭有りませんが、
三菱の大阪時代の話は、三菱自身が隠蔽(※)しており、
以上、よろしくお願いいたします。 大阪まちプロデュース・山根秀宣(2006年11月21日 2:11) ※:百科事典には載っていますが、会社HPには載っていません。輝かしい社歴なのに、社歴を語るに際して創業の地を書かない会社は珍しいと思います。
Hさま 「大阪まちプロデュース」の歴史面の知恵袋の方から
また、時代は幕末から江戸後期に遡りますが「東海道中膝栗毛」の言葉でも
全国の藩の財産・借金はすべて新政府が肩代わりするという(軍艦などを買って借金の多い藩に有利な)
(2006年11月27日 17:16) |
山根様
三菱のロゴマークについて当時の大阪の状況を鑑みた数々のご考察、大変勉強になりました。
H(2006年11月28日 11:19) |
Hさま
ご丁寧なお礼メール賜り、こちらこそ恐縮いたします。 たいへん良い質問を頂き感謝しています。おかげさまで改めて勉強する機会が得られました。 どうしても私たちは現在の目でしか過去の事実を見ることが出来ませんが、歴史を活かして、これからのまちづくりを考えるには、その当時の背景や人々の感情と史実の因果関係が重要となってきますので、ついつい背景についての講釈が長くなってしまいます。 今後とも当ページ並びに大阪をよろしくお願いいたします。
大阪まちプロデュース・山根秀宣(2006年11月28日 18:11) |
大阪の掟 「エスカレーターは左を空ける」について 東京の方から
大阪の掟
に関するメッセージ
> ■「エスカレーター」の話について
> これは、私個人的には「どっちでもいいじゃん!」という程度の > ことなのですが、ompさんが例に挙げられていた大阪方式の方が > 世界的に見てマジョリティであるということや、合理的である > ということに対して少しだけ参考意見を。 > 日本の自動車社会は、ご存知の通りイギリス同様左側通行です。 > これは、世界的に見てマイノリティなわけですが、そのことが > エスカレーターの通路確保方法にも関係しているのでは > ないだろうか?と私は思うのです。 > 例えば高速道路で。追い越し車線は中央分離帯に近い側、つまり > 右側ですね。通常速度で巡航する車両は左側を走行し、追い越す > 車両が右側を走行する。これは、高速道路がほぼ、車線の > 外側から入出するように作られているためで、通常走行中の車が > 高速道路から出て行くときに減速しなければいけないところへ > 追い越し車両が左側から迫ってきたら不都合があるからです。 > こういった車社会のルールが、自然に歩行する際にも適応され > ついにはエスカレーターのルールにも適応されたのではないかと > 思います。 > そう考えれば、急ぐ人のために右側を空けることが不合理である > とは思えず、また、途中に出口・入口の存在しないエスカレーター > なのですから、左側を空ける大阪方式であってもなんら > 不合理ではないと思います。 この件は以前調べたことが有ります。 通行方向の歴史はもっと古くお侍時代に遡ります。 右利きの人の刀は左に差しており、それが互いに引っかからないため 細い廊下ですれ違うときは左によけるのが作法でした。 これが自動車に引き継がれました(はずです)が、
私の生態調査では、多くの人は正面からやってくる障害物を
ところが、どういった経緯か忘れましたが
私は、生態調査の結果から、人も左側通行にすべきと考えています。
と考えるからです。 前置きが長くなりました。
|
首都移転について---声
「ompは首都移転を推進します」に関するメッセージ