道頓堀川親水デッキ「とんぼりリバーウォーク」御堂筋アンダーパスプロジェクト
 
2006年(平成18年)
頓堀川親水デッキ「とんぼりウォーク」が、当初計画と異なり、
・「御堂筋(道頓堀橋)下をくぐれない」との市の見解に対し地元が反発。
さらに、このため道頓堀橋(御堂筋)部分で歩行者を地上に上げるスロープ建設の必要が生じたが
・スロープのデザインも水面を塞ぐのでデザイン的にも問題が指摘された。

これらについて西道頓堀に拠点があり「みんなのミナミ」発行等ミナミ活性化で活動していたクンナダッシュ氏の尽力で
地元団体(商店街、町会、NPO)とompも参加する水都の会(会長藤井薫氏)の交流会が実現。(2006/4/21)地元が「御堂筋の下を通したい」気持ちで一致しているのを確認。
水都の会で舟を出して現地調査(2006/5/4)を行った上、
大阪市による地元説明会(5/10)には、水都の会の他のメンバーは事情(行政関係者)のため出席できず、全くの市民ながら構想を持っているomp山根が出席・交渉した。

第1回である2006年5月10日会合で、地元40団体ほどが参加する説明会で、市が高さの問題のみならず通せる空間も無いかのような説明をするのでカチンと来て、
誤解するような言い方はやめるよう反論。「通したくないのか!」と迫ったところ、市も「良い案が有れば通したいです」というので
以後、知恵を出してゆく。

毎回、地元説明会の度に市から新しい問題が出て来るのに対し、議長的役割のスポーツタカハシの高橋社長がomp山根に解決法を問う形式はパターン化した。
omp山根が提案した浮体工法と沈埋工法の組み合わせ提案に関して、市とコンサルで検討して実現可能となった。

「道頓堀川水辺整備及び戎橋架替等 工事説明会 (道頓堀橋〜戎橋) 」
2006/5/10 : ・通せる空間が無い→ルートを提示。
        ・地下構造物が有る→浮体工法。
2006/7/5 : ・搬入経路が確保できない→沈埋トンネルのように現地で組み立て合体後テンションを張る工法
2006/8/30 : ・可能だが、道頓堀橋架け替えまでの暫定的構造物、高低差から階段あり、防犯上の施錠、の了解求められる。
        通らないよりましなので認めるが、スロープ化については引き続き検討を求める。
2006/11/1 : 最終説明会 (説明会でもompとしては 階段については継続検討を求める。)
 



以下、当時のomp通信記事
とんぼりリバーウォークが御堂筋の橋の下、つながることになりました!
(2006/09/13初報。2012/06/11更新。)
道頓堀川の親水デッキ「とんぼりリバーウォーク」は、河川敷上の商売が「特区」として許可された
実験の場でもあります。
そのとんぼりリバーウォークは
堺筋・日本橋からどんきほーて前、
戎橋(グリコの看板を臨み、タイガースの優勝で飛び込む”聖地”)、
御堂筋、
アメリカ村の南側、
四つ橋筋を通って、
湊町リバープレイスまでつながる計画だった。

それが、御堂筋(の桁下)が低すぎる(歩道の建築限界値2.5m以下)。
河底の構造も古い地下鉄など弱くて新規構造物を受けつけられない、
等の理由により、「とんぼりリバーウォークは御堂筋の下をくぐれない」とする
大阪市の検討結果に対し、
景観面(上がり下りのために設けられるスロープが、橋上から川面を見えなくする。)
回遊性(一旦御堂筋の上まで3m上がり、南北の交差点まで行って御堂筋を渡り、また戻ってきて
また3m下りる・・・のは不便で、現実的には分断され回遊されなくなる)
などの観点から、御堂筋の下をくぐらせたいとの要望が、地元、識者両側から上がっていた。

この件で以前から道頓堀隣接地権者会(2006年現在「とんぼりリバーウォーク振興会」)と西道頓堀の
立役者クンナ・ダッシュさんと親交のあった、omp山根を含む「水都の会」は
依頼されて大阪市の地元説明会に参加することとなった。
結果的にそれが良い方向につながり、通す方向となった。下記はその交渉の経緯である。
課題を抱える地域の参考になれば・・・。
 

2012年6月3日。とんぼりリバーウォークの新エリアOPENとして、このアンダーパスも開通。
式典ではリボンテープカットにも参加。記念撮影では小河副知事とも再会、但し本件の話せず。
その後、水都の会メンバーで葦船仮装パレードを実施。元気の良いピアニカ合奏団のお姉様方も同乗し、大いに盛り上げた。



交渉記録 当時の水都の会MLより(一部修正)

とんぼりリバーウォーク 御堂筋・道頓堀橋アンダーバス
  交渉記録 2006/04/2〜2006/08/30

今回の流れを振り返り、「何が役立ったか」を検証しておきます。
あくまで山根の視点です。

思えば藤本英子先生が
行政の中では「通せる」との回答出ず、市民側から何とかできないか
と問題を投げかけてくれたのが始まり。
これで「具体的な話」に入ってゆくことができた。

その後すぐ、
道頓堀川に船を浮かべて現地調査を行ったのは、完全に正解でした。
私の中にも「専門家が通せないと判断したからには、本当に無理かも
知れない」という思いもあった。ところが、実際現場にゆくと
予想以上に広い空間(幅9m)があり、ルート確保に確信的な自信を得た。

                                     撮影 写真提供 吉田一廣氏(水都の会)

命懸け!?(道頓堀川に落ちて水飲んだら本当にヤバイらしい)で
正確な桁下高を計る。今でも忘れない216cm。
確かに大阪市の建築限界(歩道は高さ2.5m)には足りない。
だがたった34センチだ。水面下を歩かせばできないことはないレベルだということが、わかった。

しかしこのとき、具体的なルート・道幅を想定していなかった。
(底の構造もわからぬし)
川岸をきた低い方の通路が、橋脚突き当たり部分から川外側へ折れ曲がる
通路の幅として、既存護岸の終端と橋脚との距離を計っておけば良かった。
あとで役立ったのは、吉田さんの記録写真だった。適当な距離が有ることが
写っていた。写真を元に再度現地に行って橋上から凡そのクリアランスを確認した。

その後クンナさんの店では以前振興策を提案した「とんぼりウォーク
振興会」(元「道頓堀川隣接地権者会」)の方々と再会、他の町会・商店会の代表者も含め
皆さんが「通したい」という思いで一致していたのが、大きなポイントでした。
クンナさんの店での「地元の総意」確認で俄然元気が出た。
(大阪のまちづくりの歴史は有能な活動者が地元の分裂でハシゴを外される
歴史でもあります。「地元の総意」は滅多に得難い“力の源泉”です。)

5月10日市の地元説明会に出席しました。水都の会からは藤井さんも藤本さんも
都合悪く、山根だけが出席した。
早々に集まっていた地域団体の各代表ら40名あまりの中に、遅く来たのに中心メンバーの席に
座らせていただいた。(スポタカの高橋さんが司会。グリコビルやドウトンビルなどの面々と同じ席に。)
大阪市は何部署かから大勢来ていた。

市は2案もって来ていた。

1案は「側面図」と称して橋下には無い護岸を橋の断面と重ねて描き、
「通る所が無い」との説明。

現場を見ているのですぐに、「これはおかしい。ここに障害物はありませんよね!」と反論。
すると「はい、護岸はここにありません。奥ですから、このルートは
通せます」とのたまう。・・・・・ん?

第2案を出してきた。(最初からわかっていて第1案を出したのだ!)
ところが第2案は橋下のルートを直線で伸ばし、護岸を削るルートであった。
「ですが、護岸は削れませんので、これもできず、従って橋下を通るルートは
不可能です」と説明する。(なんでできないのが当然な護岸掘削を検討するのか?)
だんだん腹が立ってきた。要するにできないための説明ではないか!
通すための努力がまったく感じられない。

とうとうキレてしまった。もう「水都の会」も関係ない。責任はomp個人で取る!
「通したくないんですか!」
(いつもニコニコして馬鹿正直に忍耐しているが、実は、ompは
時々キレる。行政がやるべきことをやっていないとき、
ずるい人、横着な人を見たとき、、、など。こんなときはキレることが
問題解決につながることも多いが、計算だけで怒れるものではない。)

「橋梁など大阪市の土木は世界最高の技術といわれるが、
これだけ地元が一致して「通して欲しい」と思っているのに、
天下の大阪市がルートも充分検討しないまま「できない」と回答するのは、
地元にとっては、大阪市の土木技術は世界最低だ!」

「さっきから、現場を知らなければ「通れない」と錯覚するような
説明資料ばかり用意してきて、結局、繋げたくないんですか!」
と啖呵を切った。40団体の不満は最高潮に達していた。

すると市の担当者(以下「市」)は
「いいえ、繋げたいです。」
長い沈黙・・・。
私「じゃぁあ、一緒に繋げる方法を考えましょうよ」

下見の際、道頓堀橋の橋脚と護岸の間から小舟を漕ぎ入れた。
足場が邪魔して狭かったけど橋脚と護岸は有る程度離れていたはず・・・。
それならここを通れば川の中央寄りを来たリバーウォークが、橋の所では
曲がって橋脚の外側の広い空間に行けるはず。それを指摘しルートを提案した。

「そこは、通れると思います。」
いや、なんでこれぐらいのことを検討してないのか?
(後で聞くと、市の本庁の職員には仕事が多すぎて、
1地区の事案を、充分に検討できる時間がないようなのだ。)
説明会後、市の方と話し、再度確認したが
「私たちも本当に通したいんです」という。
では背景に「通させない圧力」が有るのだろうか?
提案したルートに基づき、市が次回まで「通す」試案を検討することに。

その後、「警察とか防犯関係が通したくなさそう」
との噂を聞く。私は自分たちがゲリラ的に船を出し、自由に
橋脚の空間に入れた実例を出して逆手に取り
「一般の人が入れない空間を放置する現状の方がよっぽど危険」
という具体例を出して、都度都度反論した。
空堀にもそういう例があった。

7月5日。当初予定よりずいぶん遅れて次の説明会が
あった。
しかしこの際は市から「通す」試案は出なかった。
提案したルートで、通路を造るには、その基礎工事の際、
どうしても工事エリアから水を排除しないとならないが、
ここに水が入らないようにする(一般的には矢板を打つ)のが、極めて困難だという。
ここをドライ空間にできなければ通路は造れない
・・・ような説明だったので、

「手法は基礎杭方式に限る必要はない。
今回は歩道の高さクリアランスの建築限界が2.5mと言うことで、
通路は水面下になる。当然水が入らぬよう枠を作るから浮力が
有るはずだ。9m幅で44.7mの長さで50cmの水が排出されるので
それぐらいの浮力が発生する。そんな発想でできないか。」
「関空の滑走路は、埋め立ての他に、当初浮体工法も考えられた。
4000mもの滑走路を浮かすことが真剣に検討されるのに、40mでできないことないでしょう」

上記の話をすると、すぐ、
「施工空間への入口が狭く、浮体工法の物体をこの空間に入れることができない」
というので
こんな例も出した。
「沈埋工法ってすごいですよね。あらかじめコンクリートのハコを作って
海中に沈めてつなげて、最後に水を抜いたら海底トンネルのできあがり。
大阪市さんも南港トンネルでやってますよね。
そんなやり方で狭さと水を克服できないか」

これだけ言うと 「できない」、 とは言わなかった。

しかし同時に「いつまでもズルズル延ばす気はないが、検討にもうしばらく
時間が欲しい」という。地元のみなさんも「前向きに考えてもらえるなら・・・」
と誰も文句は言わなかった。
私が、「待った挙げ句、時間切れだからできないと言われても困るが」と
言うと課長代理は即座に「時間切れだからできません、とは言いません」
と言い切った。ひとつの退路を断った。立派だった。

その後は「時間切れ」でない理由で通れなくなる可能性を心配し、恐れた。

8月30日会場が変更になったことを知らず、遅れて参加。
市からは案内が来ず、スポ高さんが連絡をくれたのだ。

配られた資料に3案が有った。
基礎杭形式、盛土形式、浮桟橋形式で、検討され
工法、地下鉄等の安定性や与える影響、止水構造、沿川橋詰建物との関係
防犯、などの観点から、一部に不安を残しつつ

「浮桟橋形式」が施工可能

という検討結果であった。

やったーーーーーーーーーーーーー!

前回提案した通りの浮体工法と沈埋工法の折衷案のような工法だった。
それ自体は想定していたけど、具体的な設計では、浮力による上へのたわみへの対処など
より細かく配慮されていた。(このたわみは、重りで下げるのです。)
ようこんな工法考えたなぁ。と思った。さすが大阪市(&専門コンサル)である。

やはり、本当にやったらすごいのは市の担当者です。
地元説明会で「やれる」と言ったら撤回は困難だから、
それまで保守的になるのは当たり前。正直、私もこんな工法でできるのか
心配な面さえある。

でもまだ課題も有るのです。
1,アンダーパスには階段で95cm下りるのです。車椅子で通れるようにしたい。
 これには、今より手前からスロープで下がってゆく必要がありますが、
 市の基準の勾配8%で高さ2.5mを確保するにはかなり下がらねばならず、
 上段の敷地が削られるため地元の納得が必要です。
(→2012年、スロープとして完成。解決。)

2,アンダーパスが狭い。幅3m。空間が幅9mなのでもったいない。
 但し滞留人口など増やしたくない意向は有るかも。出口は(壊せないよう壁の関係で)
 幅2mになるので この幅は広げても避難時に危険かも知れない。
(→2012年、やはり9m幅を活かすことはできないまま完成。仕方ない。)

3,退屈である。約45mのアンダーパスは橋の下の空間。
 ここの演出や利用法を考えないと、鉄道下の地下道の用になる。
 幸い、幅6mが余るので、水面として残るなら水中ライトでも・・・
(→2012年、3m幅の中で広告用にも使える窓状のショーウィンドウが左右に多数。
将来これを活かしたい。とても明るく作っているのは好感。
2014年水都の会は劇場やカフェーのでにぎわう大正期の道頓堀を描いた「モダン道頓堀イラスト
をアンダーパスの両側に描いて、当時の道頓堀を歩いている感覚になる展示を発表。
2017年10月28日から大阪市がここで「とんぼりリバーウォークパネル展」を開催。
この一部で(一社)大阪活性化事業実行委員会(千田忠司会長)さん道頓堀今井さんの協力で
2014年の構想の一部が実現された。この手配はompが担当。)

4,藤本さんが問題にしていた御堂筋からリバーウォークまでの
 スロープ自体およびそのデザイン。橋から川面が見えにくくなるとの指摘。
 解決策は見つかっていない。
 と言うより、アンダーパスでがんばったから、これだけはさせて欲しい、
 と言って来られています。
(→2012年、本件無くなっていました。)
 

そのほかにも有ると思いますが、以上私が言えるご報告でした。
この交渉は私のompの履歴にも加えさせてもらいました。
今回は終始「通す」という意志で地元が団結していました。
これから各論に入ると意見が割れることもあるでしょう。
これからが正念場です。
上記はじめ克服すべき課題について知恵を結集して、すばらしい
リバーウォークにしましょー!
 

                  2006年9月13日
                  山根秀宣 記(水都の会MLで発表)同日UP
                  (2010/09/24 写真追加・一部補足)
                  (2012/06/11 一部補足)
                  (2016/09/25 写真にキャプション等)
                  (2017/12/11 課題の3に新たな動きと
                  下記関連資料等を追加)
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関連資料等
以下の書籍等で取り上げられました。
2009/6/1発行「季刊まちづくり23 0907」((株)学芸出版社)
「「水都大阪」を支える市民まちづくり」藤本英子氏寄稿
内「道頓堀の遊歩道が御堂筋をくぐる日」
2014/11/21発行「行動する技術者たち ―行動と志向の軌跡―」((公社)土木学会)
「藤本英子さん 身近な風景へのこだわり 信頼から生まれる「景観まちづくり」
内「道頓堀の遊歩道計画」
2017/9 日本都市計画家協会会報「PLANNERS」特集「豊かな街は自分で作る・
大阪の都市デザイン特集 公・民・官の連携によるボトムアップのまちづくり」の
一環として「北浜テラス 公共空間利活用とエリアブランディング」執筆の一部。
ほか

新聞社各社の「北浜テラス」取材、大学研究室や学生たちの「北浜テラス」
ヒアリングの際、そのサポートをした3つのNPOの1つ omp川床研究会の発足譚
として説明。いくつかで取り上げられる。

2016/11/9国土交通省武藤次官らへの講演「なんでやねん!のまちづくり」でも
簡単に触れました。